生長の家が自民党と決別した本当の理由
生長の家と自民党が対立した理由を「生長の家の左傾化」とする人もいるが、それは日本協議会側による情報操作である。
生長の家が自民党と決別した理由は生命倫理問題である。
生長の家は宗教なのだから、生命倫理問題で妥協できないのは当然のことである。
今から三十年以上も前の事であるが、生長の家は「堕胎禁止・優生思想反対」を訴えて『優生保護法』の廃止を求めていた。
これには海外からもマザー・テレサを始めとする生命尊重の活動家から賛同を得ており、日本国内においても数百万人分の署名が集められるなど、大規模な国民運動が展開されていた。
ちなみに、マザー・テレサの唯一の本人公認の伝記は、日本においては生長の家系の出版社である日本教文社から出版されているが、その背景には生命尊重運動における生長の家とマザー・テレサの協力関係があったわけである。
こうした国際的にも支持を得て、一定の民意の後押しもあった生長の家の活動であるが、それを握りつぶしたのが自民党である。
当時の生長の家は「反共産主義」の観点から自民党を応援していたが、谷口雅春先生は経済成長優先の自民党政権の政策には何度も、見直しを求めていた。
しかし、雅春先生はそれでも自民党への支持をやめることはなかった。自民党には雅春先生を慕う政治家も多数いて、生長の家政治連合の組織内候補もいたから、雅春先生は彼らを斬り捨てるようなことはしなかった。
生長の家が光明思想の教えなので彼らの悪い面よりも良い面に注目して応援していたというのもあるが、何よりも生長の家が共産主義に反対しており、反共のために曲がりなりにも保守政権であった自民党を応援していたというのもある。
当時の生長の家――特に生長の家政治連合――は、護憲派の真の目的は憲法9条に基づいて自衛隊を廃止し、日本を無防備な状態にしてソ連や中国による日本侵略を容易にすることである、と認識していた。
そして、左翼勢力が真の平和勢力ではない根拠として、新左翼による暴力学生の活動を挙げていたのである。そのことの是非はここでは述べないが、生長の家の自民党支持は教義に基づくものであるというよりも、一種の政治的判断で行われた側面の方が強かった。
従って、生長の家政治連合は選挙では自民党を応援する一方で、政策としては堕胎や優生学への反対を第一とし、場合によっては政府に批判的な立場に立つこともあったのだ。
ところが、自民党は生長の家政治連合の政策を受け入れないばかりか、生長の家が「最優先課題」とした『優生保護法』の問題にも全く取り組まなかった。
雅春先生も生命倫理問題だけは妥協できなかった。生長の家が自民党と決別したのは雅春先生の昇天後のことであるというデマが流れているが、実際には雅春先生のご存命中に生長の家は生長の家政治連合の活動停止を決定したのである。
これは左傾化でも何でもない。そもそも、左翼は堕胎に賛成していたから、生長の家が自民党を応援していたという面もあった。
だから、自民党が医療利権複合体の金もうけのために堕胎や優生思想に賛成の立場に転じると、生長の家が自民党を応援する理由は、無くなるのである。
では、どうして生長の家が「政治活動停止」という曖昧な表現に留めたかと言うと、それは先にも述べたように「共産主義の脅威」があったからだが、これは言い換えると「共産党政権でさえなければ、どこでも良い」ということであり、今のように非自民の保守政党(共産党と比べて、保守という意味)が増えていると、わざわざ30年以上前から対立していた自民党に遠慮することはないのである。
ここであえて「対立」という言葉を使ったのは、生長の家の主要聖典の著作権の管理や社会事業部門を担当していた生長の家社会事業団、生長の家青年会の関連組織であった日本青年協議会、生長の家教職員会の関連組織であった新教育者連盟が、それぞれ自民党側の政治工作により生長の家から寝返った上に、さらに彼らは生長の家の幹部の引きはがしも行い、政治部門の「日本協議会」に宗教部門の「谷口雅春先生を学ぶ会」という組織を作って、組織的に生長の家の分裂・解体を狙って行動しているからだ。
こういう事情も知らずに、一歩的に日本協議会側の主張を鵜呑みにして「生長の家は再経過した」と信じている方もいるようだが、それは大変偏った見方なのである。
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